結婚したおねえちゃんは、御亭主の勤務地、兵庫県芦屋市に移り住んだ。
2000年2月、ウリヤは永年勤続の褒美として、連続休暇を与えられた。
ウリヤは、新幹線で岡山に行き、ネット友の飛葉キャビンさんに会った。
帰還途中、芦屋に立ち寄り、久しぶりにおねえちゃんに会った。その日、ちょうど
日曜日だったので、おねえちゃんと二人で教会に行き、礼拝に与ってきた。
専業主婦のおねえちゃん、とても幸福そうで、ウリヤは嬉しかった。
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2000年秋、御亭主の転勤により、おねえちゃんは神奈川に戻った。
このころ、おねえちゃんは体調に異常を感じ始めていた...。
子宮筋腫の疑いで手術となった。その結果、癌が発見された。既に卵巣に転移していた。
死が目の前にあった...。
癌のステージは高かった。おねえちゃんは、堂々と告知を受けた。
おねえちゃんの、長く短い闘病生活が始まった。
可能な限りの治療を行なった。7度にわたる入退院...。
死期を悟るまでの、おねえちゃんの心の葛藤は想像を絶するものだったと思われる。
生きるも死すも主の御心次第、ただ主の御計画のままにすべてを委ねる、
というのが、おねえちゃんの結論だった。
人間の尊厳を保って地上での行程を終えたい、としたおねえちゃんは、ついに延命治療を拒み、
緩和ケア病棟、ホスピスに入所することを決めた。
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2002年3月半ば、おねえちゃんから電話を受けた。明るく元気そうな声であった。
姉「あたし元気そうな声でしょう。でも元気じゃないのよ。」
ウリヤ「どうしたの」
姉「実はウリヤ君におねがいしたいことがあるの。」
ウリヤ「おねえちゃんの頼みなら何でも聞くぜ。」
姉「実はね、もうすぐホスピスに入るの。あたしとしては、8月の結婚記念日まで持たせたかったんだけど、
だめみたい。」
覚悟していたとはいえ、ウリヤの心に衝撃が走った。
姉「葬儀のおおまかな打ち合わせは伊藤先生(前相模原教会主任牧師)としている。あなたにおねがいの
ひとつは弔辞。」
ウリヤ「わかった。死者への呼びかけはキリスト教的には馴染まないから、証しということでよいか。それで
ふたつめは?」
姉「ホスピスへ入る日が決まったら、一番丁教会時代のメンバーにあたしのことを知らせてほしいの。
『あの人、このごろ音沙汰ないわね』『あら、あの人何年か前に亡くなったわよ』というような認識はされたく
ないので。」
ウリヤ「了解した。」
姉「実はここまで来るのに、心も体も辛かったけれど、やっと平安になれたわよ。」
ウリヤ「...」
姉「今更ながらだけど、あたしにはイエス様という切り札があったのよね。今は死の恐怖はないわ。」
ウリヤ「おねえちゃん、ごめん」
このとき、ウリヤこらえ切れず号泣...
姉「あらあら..」
一週間後、ホスピス入所が決まった。
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2002年3月28日、おねえちゃんは、神奈川県横須賀市の、医療伝道会衣笠病院ホスピスに入所した。
4月4日、夜勤明けのウリヤは、ホスピスに向かった。
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| 衣笠病院正面入口2階に設置されたパイプオルガン |
同ホスピスはキリスト教系の施設である。ホスピス棟1階にはチャペルがある。また病院入口前には
日本基督教団衣笠病院教会がある。
この日、おねえちゃんは元気であった。
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| 在りし日のおねえちゃん | 明るい日差しの談話室 |
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4月13日、ウリヤは妻子共々、ホスピスに赴いた。
おねえちゃんは、だいぶ弱っていたが、ウリヤの娘が見舞いの絵葉書を渡すと
「まあ、なんてやさしい子でしょう」
と言って微笑んだ。
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ウリヤとおねえちゃん、今生の別れであった...。