御国へ...
2002年5月5日午後2時58分、一人の女性が、ホスピス(緩和ケア病棟)で、静かに息を引き取った。
50年の生涯だった。
その女性の名は、高橋洋子。クリスチャンである。
ウリヤは洋子姉との出会いの時を覚えていない。
二十数年前、ウリヤは仙台で大学生だった。中学時代から近所の教会に出入りしており、
20歳を過ぎたころ、その教会で洗礼を受けた。
その教会は仙台でも老舗の教会で、日本基督教団仙台東一番丁教会と称する。
プロテスタント教会で、改革長老派の流れを汲む。
教会には、長老会(役員会)、壮年会、婦人会、青年会、学生会、高校生会、中学生会等の
分会があった。
当時、ウリヤは学生のメンバーであった。
気がつくと、いつのまにか洋子姉は学生会の中にいた。洋子姉は学生だった。
学部は違うが、ウリヤと同門で、ウリヤより3歳上の先輩だった。
洋子姉は生真面目な人だった。主日礼拝を忠実に守ることは勿論、聖書研究祈祷会、
各種教会活動に積極的に参加した。
頼りになる姉貴分で、学生会の後輩らから「おねえちゃん」と呼ばれ、親しまれた。
面倒見のよい人であった。
おねえちゃんの後輩らの中で、ウリヤが最も出来が悪かった。このころからウリヤは
不良クリスチャンだった。だからこそ、おねえちゃんはウリヤを特に心配したのだろう。
ウリヤはおねえちゃんを慕った。
おねえちゃんは、大学卒業後、1年働き、社会福祉系の大学に学士編入学した。
その大学を卒業し、東京に出て就職した。
ウリヤもおねえちゃんと前後して北関東に出て就職。
そのころ、学生会の仲間の多くは、既に卒業して東京を中心に関東地方で就労していた。
そのため、ウリヤもおねえちゃんたち、元学生会のメンバーと音信が続き、今日に至っている。
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おねえちゃんは、キリスト教信仰に触れた、仙台東一番丁教会で洗礼を受けなかった。
真正面からイエス・キリストに向かい、自己の信仰を高めて行ったのだろう。
1981年秋、おねえちゃんから電話で
「クリスマス礼拝で洗礼を受けることにした。」
との連絡があった。
ウリヤは
「おめでとう。それでは教会宛に祝電を打とう。」
と言ったが、このときウリヤは密かに洗礼式に立ち会うことを画策した。
ウリヤは、当時神奈川県で神学生をしていた学生会の後輩、早坂文彦氏(現日本基督教団牧師)
方に連絡、ウリヤと早坂師の夫人由美姉で、おねえちゃんの洗礼式に立ち会うことにした。
由美夫人も元学生会のメンバーである。
1981年クリスマス礼拝。前日早坂師方に宿泊したウリヤは、早朝由美夫人とともに北千住に向かった。
早坂師は神学生であり、当時配置されていた教会に執務上の責任があるため、ウリヤと由美夫人が
向かうこととなった。
おねえちゃんが洗礼を受けたのは、日本基督教団北千住教会であった。
礼拝に出席したウリヤたちを見て、おねえちゃんが驚いたのは言うまでもない。
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おねえちゃんは、数箇所職場を変えた後、キリスト教系の学校に勤務した。
東京でも有数の女子校で、中学校から短期大学まで併設してある。
おねえちゃんの最後の職場であった。おねえちゃんは約10年、この学校に勤めた。
それに伴い、職場の近くに転居し、教会も住居から近い、日本基督教団相模原教会に
転籍した。
おねえちゃんは、相模原教会で、聖歌隊をはじめ精力的に活動した。そして会堂改築総務の
任にあたり、外部教会との折衝等に活躍した。
おねえちゃんの職場での最後の仕事は、4年制大学設立に伴う、入学試験システムの構築であった。
プロジェクトは成功し、仕事が一段落した。
大仕事を終えたおねえちゃん、心が少し疲れたか...
突然の結婚宣言。お見合いサークルで紹介された男性と結婚することになった。
寿退職した。わずか3年前のことである。
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1999年8月22日、日本基督教団相模原教会において、おねえちゃんは結婚式を挙げた。
厳かな式、挙式後の茶話会、神の祝福大いにあり、喜びに満ち溢れた日となった。