
水戸中央教会 説教 2007年8月26日
「イエスはなぜ殺されたのか」
ルカによる福音書14章1〜6節
1:安息日のことだった。
イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
人々はイエスの様子をうかがっていた。
2:そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。
3:そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
4:彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
5:そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
6:彼らは、これに対して答えることができなかった。
安息日とは、ユダヤ教の習慣です。
一週間は七日と定められており、六日を人間が自分のために働く日とし、
最後の一日を安息日として休むとするものです。
現在の日本の日月火水木金土という一週間の制度も元をたどりますと、
このユダヤの安息日の習慣に行き着きます。
ですから、この安息日という習慣は、
二千年以上前のわたしたちとは何の関係もない世界の出来事ではなくて、
わたしたち日本の社会の根幹にすでに取り入れられている習慣なのです。
そうは言っても、もちろん当時のユダヤ人社会と日本社会では大きな違いがあります。
わたしたちはこの七曜制の暦を形式だけ取り入れていて、
その中身や意味については全く知らないということです。
このユダヤ人たちは今から四〜五千年まえ、エジプト文明の華やかなころ、
エジプトの地で奴隷として苦しい生活を送っていました。
この不当な扱いを受けて絶滅されようとしていたユダヤ人たちを神様が、
モーセという一人の神に従順で謙遜な指導者によって救い出します。
神は、命からがらエジプトから救い出されたユダヤの民に、
十戒という神の民として守らなければならない律法を授けます。
その第四番目の掟が、「安息日を守り、これを神聖なものとしなさい」です。
出エジプト記20章
8:安息日を心に留め、これを聖別せよ。
9:日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、
10:七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。
あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、
あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
11:六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、
七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
この安息日を守ることは、その後ユダヤ民族のアイデンティティとなりました。
金曜日の日没から始まり土曜日の日没に終わる安息日は、
今も厳然として守り続けられています。
このとき、ユダヤ人たちは仕事を休み、会堂に集まり、聖書の朗読を聞き、神を賛美し、
共に食事をしたりて過ごします。
安息日は、彼らが何のために生きているかが明らかとされる日であり、
それは、とりもなおさず神の栄光を表すためにユダヤの民はあるという自負と誇りです。
クリスチャンもこの伝統を受け継いでおり、
イエス・キリストの復活された日曜日を安息の日として、仕事の手を休めて礼拝に集います。
「そんな遠い昔の異国の習慣が、このわたしと一体何の関係があるのか?」
と思われるかも知れません。
「日本には日本の古い伝統と文化があり、
ユダヤ人たちが自分たちの伝統と文化を大切にして誇りに思うように、
わたしたちも自分たちの文化や伝統を守ればいいのではないか。」
と考える人もいるでしょう。
しかし、現実の世界の歴史は、このような考えのようにはなりませんでした。
この考えは、別に新しいものではなく、ローマ時代にもありましたし、
キリスト教が伝えられて現在キリスト教国となっている全ての民族、国家で同じように考えられたのです。
「ユダヤ人の神が、わたしたちの民族と何の関係があるのか?」
という問いは、世界中至るところにありました。
今のわたしたちもこの昔からある問いを持っているわけです。
単純に言うならば、キリスト教の精神文化が、他の民族の精神文化よりも優れたものであったからです。
ローマ時代のもっとも著名な神学者であるアウグスティヌスもまた、
キリスト教文化が多神教ローマの宗教よりはるかにすぐれていることを強調しています。
彼は「神の国」という著作の中で、当時のローマの宗教の矛盾と放縦をつまびらかにしています。
日本のキリスト教会は明治期に禁酒運動を特に強調しました。
当時のアメリカの教派的な風潮も反映されていたと考えられます。
戦後世代は「クリスチャンはあまりガチガチだと思われては困る」と考え、
この頃はあまり言われなくなりました。
しかし、そんなに間違いでもなかったということも思います。
しばらく前、とある事件の仲裁で、水戸の周辺のお宅を訪ねたことがあります。
大変に大きなお宅で、立派なお屋敷の広い座敷に家のご主人が一人で晩酌をされていました。
最初から最後まで怒鳴られ放しで、
渡した名刺も畳にたたきつけるほど酔っぱらっていらして手がつけられない状態でした。
ご主人の怒鳴っているのを聞きつけて、息子さんが出てらして、
「親父を怒らせるとは何事だ!」と、ひとしきり脅されました。
わたしは腕力にはからきし自信がありませんから、おとなしくしておりまして、
「どうもご迷惑をおかけしました。」と言って帰ってきましたが、
その家の方々も酒を飲んでいるご主人には、
あまり関わらないように避けていらっしゃるような雰囲気がありました。
「こんなお宅は、このあたりには他にも結構ありそうだなぁ。」
と思いながらわたしはあたりのお宅を見回したことがあります。
戦前のキリスト教会の禁酒運動というのもあながち間違いではなかったと思った次第です。
主イエス様は、安息日にファリサイ派の議員のところへ食事をしに行きます。
議員は、地域の有力者であったことは明らかです。
安息日に人々を招いて食事をするという習慣は、当時、特異なものではなかったと考えられます。
その家には多くのファリサイ派系の人々がおり、イエス様の動向をうかがっていました。
ファリサイ派や律法の専門家などとの安息日をめぐる対立はすでに明らかとなっていました。
周りは敵ばかりという状況です。
そこに水腫という病を患っている人がいました。
あまり、現代のわたしたちには、なじみのない病気ですが、
体の中に余分な水分が蓄積されてしまう病で、死に至ることもある病だそうです。
安息日には、一切の労働をしてはならないと考えるファリサイ派の人々の目の前で、
水腫の人の病は癒されました。
手を置いた程度のことですが、これは癒しであり、
医者としての労働をしたと、彼らは考えました。
医者が一生懸命に働いて、癒そうとしても癒すことのできない病が、
目の前で一瞬のうちに癒されても、ファリサイ派と律法の専門家たちは驚きもしませんでした。
自分たちにそんな奇跡を行う力はないにもかかわらず、
彼らはその奇跡を行うイエスよりも高い立場にあるかのように、イエスを心の中で裁いています。
ここに人間の暗い部分が明白になっています。
別にこのファリサイ派の人々が特別愚かな訳ではありません。
彼らがイエス様に対して見せた、見下す態度こそ、全人類に共通の悲しい人間性の限界なのです。
1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
とヨハネ福音書は言います。光とはイエス・キリストであり、
暗闇とはイエス・キリストを理解しない人間の心です。
3:そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
4:彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。
5:そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
6:彼らは、これに対して答えることができなかった。
律法の専門家たちやファリサイ派の人々は、
イエスの質問に答えることなく、黙り続けています。
彼らの中にはもはや論理はなく、癒しの事実を正しく評価しようとする客観的な姿勢もありません。
イエスは間違っているという決定が心の中にあるのです。
つまり、彼らは事態の緊急性を認識していません。
安息日に自分の息子や牛が井戸に落ちたら、それは即刻助け出さねばなりません。
それと同じように今、イエス・キリストが彼らの目の前にいるということは、
人類の歴史上、かつてなかった異常事態なのです。
なぜならば、彼らの目の前で、奇跡によって人の病が癒されるということを彼ら自身、
経験したことがなかったはずだからです。
ただ一度いらした神の子と彼らは対面しているという異常事態にいます。
彼らは、わたしたちが見たい見たいと思っているイエス・キリストその人に直接会った人々です。
そして、その奇跡を直接見ることができた人々です。
望むならば、イエスと語り合い、そのお考えを直接聞くことができ、
それどころか、イエス様ご自身が彼らのもとへ来て、語ってくださっているのです。
イエス様ご自身が尋ね、奇跡の業をお示しになっているのです。
人類史上、もっとも恵まれた環境に生きた人々ではないでしょうか。
しかし、彼らはその最大の恵みを生かそうとしませんでした。
神様はこの恵みを惜しもうとはしませんでした。
「ファリサイ派の連中はどうせ言っても分からないのだから。言わないでおこう。」
とはイエス様は考えられませんでした。
イスラエルのもっとも中心的な人々である彼らに福音の真実をしっかり伝えようとされました。
ですから、主はあえてファリサイ派の議員のところへ食事に出かけたのです。
わたしたちも今、大きな恵みの中にいます。
日本の公称2700年ほどの歴史の中で、イエス・キリストの福音がこれほど自由に伝えられ、
信じる自由が与えられている時代はかつてありませんでした。
16世紀に伝えられたキリスト教は、わずかの間に急速に広がりますが、
その後、徹底的な迫害に遭い、抹殺されます。
徳川300年の歴史を通じて一貫した政策はただ一つ、キリシタン禁令でした。
昭和の初期にはまだキリシタン禁令の本物の高札が地方にはそのまま立っていたほどでした。
わたしたちの教会の前任牧師、横溝先生が戦後、
千葉を旅行されたとき旅の途中でその高札をご覧になったとおっしゃっていました。
わたしたちが今、聖書を手にして、教会に来て福音を聞いている。
これは日本の歴史の中で異常事態なのです。
わたしたちはこの恵みに満ちた時を恵みとして受け取っているでしょうか。
この与えられている自由を行使しているでしょうか。
ファリサイ派の人々のようにはじめからイエス様を間違った人として烙印を押して、
無関心でいないでしょうか。
その問いに答えているでしょうか。
この世に命のある内に聖書を開き、これに問いかけ、答えを得ようと格闘しているでしょうか。
「光ある内に、光の中を歩みなさい」
と主はおっしゃいました。
神はわたしたちの問いかけに必ず答えてくださいます。
生かされ、信じることを許されているこの時代に感謝しつつ、
この貴重な時を生かしてゆきたいと願います。
そして、わたしたちはこの大きな恵みの時代に生かされている日本人として、
この恵みに答えられるかどうかという大きな責任を負っているのです。
まさにわたしたちがファリサイ派の人々と同じように、
神の恵みをないがしろにする者であることを十分に自覚して、
より真実を認めることができるようにして下さいと神に祈る者でありたいと願います。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee
of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society
, Tokyo 1987,1988