水戸中央教会 説教                      2007年4月22日

「復活の証人」
ルカによる福音書24章36−43節

 
36:こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、
  「あなたがたに平和があるように」と言われた。
37:彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
38:そこで、イエスは言われた。
 「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
39:わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。
 亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」
40:こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
41:彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
 イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
42:そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
43:イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 先週、統一協会問題対策の委員会よりお誘いを受けて、
韓国の南海岸にあるヨス市を訪問させて頂きました。
 ヨス市は2012年の万博に立候補しており、
この万博開催を利用して、統一協会は、地域リゾート開発と称して経済特区を取得し、
ヨス市の郊外に広大な300万坪の土地を購入、
ゴルフ場やホテルなどを建設しようとしています。
 ヨス市は人口30万人で、クリスチャンの人口比率が韓国で最も高い街だそうです。
約3分の1の10万人がクリスチャンだということでした。
 ヨス市長また市議会にも多くのクリスチャンがおり、
この人々が団結して、統一協会の進出を阻止しようとする運動が起こっています。
統一協会に対抗するために日韓の教会がどのように協力してゆくべきかを探る話し合いでした。

 ヨス市は大変に風光明媚な海岸都市で、
秀吉軍を撃滅したことで有名な韓国の将軍李舜臣がその水軍の本拠地を置いたところです。
 町中はそんなに美しいという印象はなかったのですが、
一度、海へ出て大小の島々が無数に点在する中を巡って、
海から街を眺めますと大変に美しい街でした。
 ヨス市の巡視艇で、統一協会が建設しようとしているリゾート予定地を、
海から韓国の教会の牧師先生たちと一緒に視察しました。
そのリゾート計画の巨大さにびっくりすると同時に、
また統一協会の発想の貧困と教祖文鮮明氏の心の貧しさを強く感じました。
人をだましてお金を巻き上げ、地上天国を造ると称して行っていることは、
こんなことなのかということを強く思わされました。
豪勢なホテルを建て、プールを造り、ゴルフ場を造るのが地上天国なのか。
 ヨスには以前から統一協会の大変立派な研修施設や文鮮明の別荘があり、
ヘリポートもあってヘリコプターで文鮮明さんは、
週に一度だかなんだか定期的にヨスの施設へ来て、
好きな釣りをして好きな刺身を食べて休養をされているということでした。
 地上天国というのなら、
障碍者の施設とか貧しい人々のための施設とかを造ろうというのがキリスト教会的な発想ですが、
そんな考えは統一協会には全く存在しません。
「文鮮明氏の心は貧しいな」と思いました。
日本の無知な人々をだまして巻き上げたお金なのですから、
こんな風に自分の虚栄心の満足のために使うのは当然かとも思います。
そして、数年後にはこのすべての施設を残して、文鮮明氏は墓に葬られます。
巨大な墓が造られるのかも知れません。
しかし、その墓はまもなくさびれ誰も訪れる人はいなくなるでしょう。
誰も彼の死後、彼を讃え、感謝するような人はいません。誰からも憎まれる人生です。
 目の前の海の向こうに広がる広大な統一協会のリゾート建設予定地を前にして、
私は統一協会の貧しさというものを痛切に感じました。

 ヨス市は、韓国キリスト教会において最も有名な殉教者の出身地であり、
その墓があるところです。
 ソン・ヤンウォン牧師という方で、
この方はヨス市郊外にあるハンセン氏病患者の施設で牧会に従事されました。
学識豊かな方で大学の学長にも招かれるほどの方だったのだそうですが、
これを断り、施設に残ります。
 大日本帝国の支配した時代には神社参拝を拒否して牢獄に入れられ死線をさまよいます。
 朝鮮戦争の際に、ハンセン氏病の患者を守ろうとして北朝鮮軍によって殺され殉教します。
 またこのソン牧師の息子さんは大学で福音伝道運動に身を投じますが、殺されます。
その殺した青年は死刑判決を受けますが、この自分の息子を殺した青年のために特赦を願い出て、
この青年を自分の息子として面倒を見たことでも有名です。
「愛の原子爆弾」とmいう題名で韓国では映画化もされています。
東西冷戦の危機の中で作られた映画と思われますが、大変に韓国で有名になった映画だそうです。
 旅の終わりに、この孫牧師の記念館と墓を訪問する機会を与えられました。

 日本に戻ってきて、この旅を振り返りますと、
私はクリスチャンとしてまた牧師として、
自分はどちらの方向に歩もうとしているのかを突きつけられたような気が致します。
神様が与えて下さった大変いい実物教育でした。
 この世の富を求める道を行くのか、
永遠の命に通じる主イエス・キリストに従う道を行くのかという分かれ道、
そしてそれぞれの道のゴールを見ることができました。
 統一協会の滅びと死に至る道、ソン牧師の死を越えた愛へと続く道、
どちらが豊かで素晴らしい人生であるかが、非常に明らかにされた旅でした。
 統一協会と孫牧師の分かれ目はイエス・キリストの復活にあります。

24:36 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、
 「あなたがたに平和があるように」と言われた。
24:37 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
24:38 そこで、イエスは言われた。
 「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
24:39 わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。
 亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」
24:40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
24:41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、
 イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
24:42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
24:43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

 文鮮明氏はイエス・キリストの伝道は失敗であったと主張し、
自分こそはイエス・キリストに勝るメシアだと言い張っています。
彼はイエス・キリストの復活の本当の意味をねじ曲げて、本質的に否定しています。
ですから彼は必然的にこの世で自分が支配できることに依り頼まざるを得ません。
嘘をついて人をだましてでもお金を集め、自分の力を誇示しようとするのはそのためです。
 ソン牧師の生き方は明らかに、イエス・キリストの復活がその基礎であり土台となっています。
キリストの復活がなければ、ソン牧師の人生は全く虚しいものです。
そして、復活を信じなければ、どうして彼のなした愛の業をなすことができたでしょうか。
 イエス・キリストは肉体を持って現実にこの世に復活しました。
ですから、ソン牧師は、この世において自らの命を犠牲にして神の命じる愛の業を行っても、
何も失うことはないと信仰によって知っていたのです。
 この世において愛のために本当に十字架の道を歩むことを彼は選んだのです。
 文鮮明氏はイエス・キリストの十字架の道を歩もうとはしません。
文鮮明氏は何かわたしたちが客観的に非難すべき悪者ではありません。
彼はわたしたちの素顔です。金と欲を追い求める文鮮明氏はわたしたちの姿に他なりません。

「宝くじが当たったら、これこれのよいことをしよう。」ということを聞くことがあります。
「私にお金があったら、もっと世の中のために使うのに。」などというのは、偽善者の言葉です。
 神がわたしたちに命じられることは、
わたしたちがお金を持っていなければできないことではありません。
永遠の命に至る道を歩むために、
何億円という資金がなければならないということは決してありません。
あるはずがないのです。

 イエス・キリストは何兆円の世界最大の教会を建てたので、復活したのではありません。
イエス・キリストは何万人という人々を貧困から救い出したので、
復活して神の右にいらっしゃるのではありません。
 イエス・キリストは名君としてイスラエルの国を治めたので復活したのではありません。
イエス・キリストは神の御心に従って、十字架に架かり、
苦しみをその身に受けられたから、三日目に復活されたのです。

 「私にお金があったら、これこれのよいことをするのに。」というのは、
いかにわたしたちが、
神から託された愛の業を行うことに怠慢であるかを自分から宣言しているようなものです。
そして、それは今行っている業が結局のところ神のためではなく、
自分の栄光のために行っていると言うだけに過ぎません。
 それは不従順の言葉です。
神の御心に従って行っているならば、それがどんなに不完全に見える小さな業であっても、
わたしたちの中に満足と喜びがあるはずであり、
行わせて頂いていることについて神に感謝するはずだからです。
そして、もしわたしたちが神の御心に真剣に生きているならば、
その時、わたしたちはむしろ神に「この杯を取り除いて下さい」と祈るはずだからです。
決して、「神様あなたの御心を行うために、3億円下さい。」と祈るはずがありません。
それはお金がなくてもできることなのです。

 イエス・キリストは、ローマの兵隊に3千万円を支払って、
十字架につけて頂いたという訳ではありません。
「そんな馬鹿なことを言うな」と、みなさんは思われるでしょう。
しかし、そんな馬鹿なことを考え、言っているのがわたしたちの現実なのです。

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
              Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会
              Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

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