
水戸中央教会 説教 2007年2月11日
「死に至る病」
ルカによる福音書5章12〜26節
12:イエスがある町におられたとき、そこに、全身らい病にかかった人がいた。
この人はイエスを見てひれ伏し、
「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできのなります」と願った。
13:イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」と言われると、
たちまちらい病は去った。
14:イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。
ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、
人々に証明しなさい。」
15:しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、
教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。
16:だが、イエスは人里離れた所に退いておられた。
17:ある日のこと、イエスが教えておられると、
ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。
この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。
主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。
18:すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、
家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
19:しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、
屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
20:イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
21:ところが、律法学者たちファリサイ派人々はあれこれと考え始めた。
「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、
罪を赦すことができるだろうか。」
22:イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。
23:『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
24:人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」
そして中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
25:その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。
26:人々は皆大変驚き、髪を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。
今日の福音書の報告によりますと、イエス・キリストは重い皮膚病にかかっている人を癒されました。
この重い皮膚病と今の聖書で記されているのは、ハンセン氏病とか、らい病といわれた病のことです。
つい数十年前まで、この病には有効な治療法がなく、
一度感染したら最後、徐々にからだが腐ってゆく悲惨な病として恐れられていました。
患者は差別され、社会から隔離されて生きることを社会から余儀なくされました。
つい先日、小泉首相の任期中に、日本が長く行ってきた
「らい予防法」という法律によって、多くの何の罪もあるわけもない患者に対して行われた、
人権蹂躙と虐待について謝罪がなされました。
この病は、20世紀半ばに特効薬が開発され完全に治るようになりました。
そのように完全に治るようになって、
ようやく「らい予防法」の間違いと謝罪がなされるようになったのです。
ですから、いかに恐れられてきた病であるかをうかがい知ることができます。
患者は山奥や離島に隔離され、逃亡は許されませんでした。
親族の中でこの病に感染した者がいるということにでもなれば、
結婚などにも差し障りが出ました。
わたし自身、幼い頃に親族の集まりなどで、
「この病は遺伝病だ」とか「菌が家に何十年もいつく」のだというような話を聞いた記憶があります。
これらは全て間違ったことですけれども、つい最近まであったことです。
今から2000年前にこの世に生きていらしたイエス様が、
この重い皮膚病の患者にさわって癒されたということは、
驚異であり驚愕の出来事であると言わざるを得ません。
そして、癒した人に対して
「だれにも話してはいけない。ただ行って祭司に体を見せ、
モーセが定めた通りに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい」
と、言っています。このことも驚くべきことです。
このようなことは普通の人間では考えられません。
「わたしのところへ来ればガンが治る」と言って、
何の治療もせず大金だけ巻き上げたというような詐欺事件は現代も後を絶ちません。
治せもしないのに、「治せる」と言いふらしている人々が沢山います。
治りもしない薬を「ガンに効く」と言って大もうけをしている会社もあります。
人間はまさに罪人です。
そんなわたしたちが、ふとした偶然から、そんな病を癒す力を与えられたらどうするでしょうか。
「これは大もうけができる」とほくそ笑んで、人々に宣伝し、
そして宣伝するまでもなく人々は群がるでしょうから、
大金を払うことのできる人々だけを癒すようにしたりするのではないでしょうか。
テレビに出演して、その癒しを実演でもして、さらに儲けようとするでしょう。
しかし、「イエス・キリストは、人里離れたところに退いて祈っておられた」と聖書は伝えています。
本当の神の人、キリストがどのような方であるかがここには明らかにされています。
ガンの特効薬を開発したら、その会社は、特許をとり、できるだけ高値で売ります。
その薬の効力を下手をすれば数字を多少、細工してでも、
あるいは副作用を隠してでも売りさばいて儲けようとします。
誰が、「この薬で治ったことは、誰にも言ってはいけない」などと言うでしょうか。
あるいは、せっかく開発した薬を人々のためだと言ってタダで配ったりはしません。
このようにイエス・キリストとこのわたしたちを比較するとき、
わたしたちが罪の中に生きているということが明らかになります。
またこの重い皮膚病を患っている人の癒しの後には、
中風の人を癒したことが報告されています。
人々がイエスの滞在している家へ病人をを連れて群がっており、近づけません。
それで、この中風の人を連れてきた男たちはイエス様のいらっしゃるあたりの屋根を壊して、
イエスのもとへ病人をつり下げました。イエスはこの男たちの信仰を見て癒されたとあります。
イエス・キリストが世に唯一度だけいらっしゃったとき、多くの病ある人々を癒されました。
この重い皮膚病も中風も当時は不治の病として恐れられた病です。
人間が直せるようになったのは極最近のことです。そして中風の人が目の前に吊り降ろされたとき、
「人よ、あなたの罪は赦された。」と、言われたと報告されています。
病の癒しよりも罪の赦しの方が大切なことだからイエス様は、そうおっしゃったのです。
けれども、この発言によってイエス様は、「神を冒涜する者」というレッテルを貼られてしまいます。
もちろんイエス様は、その中風の病を癒されて、自らの権威を証明しますが、
だからといって当時の宗教指導者たちとの争いに勝利した訳ではありません。
対立は深刻になってしまいます。イエス・キリストが本当のキリストであるから、これらのことは起きました。
イエス・キリストが癒した人々は、異邦人であったり、貧しい人々であったり、
この重い皮膚病の人のような、社会から完全に隔離されているような、
差別されているような人々でした。イエス・キリストが本物のキリストであったからです。
某巨大新興宗教の代表者と較べてみてください。彼は世界中の著名人や有名な政治的指導者、
宗教指導者などとの会談を数限りなく繰り返し、世界中の大学から名誉博士号などを贈られています。
彼はニセモノだからこのようなことをするのです。
このような輩はあぶくのごとく現れては消えてゆきますが、数限りなくあります。
わたしたちは、このイエス様が病人を癒されたという奇跡の報告を読みますと、
すぐに「こんなことが、起きるわけがない。でっち上げだ」と、思いますが、
聖書はそんなことを伝えたいのではありません。聖書はわたしたちに問いただしているのです。
「あなたは一体どのように生きているのか」と問いつめているのです。
わたしたちはこの問いが問われていることを果たして意識しているでしょうか。
もし、わたしたちが、このイエス様のような力を与えられていたとしたら、
どのようにしているでしょうか。
先にも言いましたように、わたしたちはこの力を利用して、
地位を築き、財産を築き、この世を支配しようとするでしょう。
有名になって「この世にわたしを知らぬ者などいない」とうそぶくことでしょう。
世界中の権力者や金持ちが、自分のところへ助けを求めてやって来るのを、
ほくそ笑んで眺めることでしょう。
このようにわたしたちが考えるこの考えが、死に至る病です。
このように言いますと、
「いや、わたしにそんな力が与えられたら、キリストのように貧しい人々のために尽くします」
などというのは偽善者で、罪人とは何かという基本の基本が分かっていないだけのことです。
主イエス・キリストは、わたしたちへの深い愛のために、
わたしたちが、このどうしようもない死の病の中にあることを、身をもって示して下さいました。
イエス・キリストは十字架への道をこの後、自ら選択されて歩まれました。
最初は地方の小さな村で、名もない人々を癒して、徐々に有名になり、
最後はイスラエル王やローマの皇帝にまで、乞われて宮殿に招かれ、
病を癒したというサクセス・ストーリーをイエス様は拒否されました。
イエス様は自分の思いによって生きたのではなく、
神さまから与えられた使命のために生きたからです。
この神さまから与えられた使命に生きたために、
イエス・キリストは十字架に架けられて死に、そして三日後に復活したのです。
神はわたしたちひとりひとりを愛して下さっています。
そして、わたしたちひとりひとりにも使命を与えて下さいます。
神さまは、わたしたちひとりひとりが復活し、
永遠の命に至る使命とご計画を持っていらっしゃいます。
あなたは、その使命をすでにご存じでしょうか。
あなたの人生の計画や目標が挫折しようと、むちゃくちゃになってしまっているからと言って、
神さまの使命があなたに与えられないというわけではありません。
神さまは、ご自分の計画をあなたに伝えるために、あなたを失敗させ、
挫折させているかも知れないのです。
神の使命に生きるとき、わたしたちが失敗だとか挫折だとばかり思い込んでいたものが、
大変な恵みであったことを知るようになります。
わたしたちの人生は、わたしたちの巨大な墓や記念碑に向かって歩んでいるのではありません。
わたしたちは復活に向かって生きているのです。
目を覚まして、立ち上がり、主の御心のために生きようではありませんか。
主イエス・キリストは言われます。
「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」
主の祝福が皆さんと共にありますように。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee
of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society
, Tokyo 1987,1988