水戸中央教会 説教       2006年11月5日

「ノアの契約」

創世記9章8-17節

 
8:神はノアと彼の息子たちに言われた。
 9:「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
10:あなたたちと共にいるすべての生き物、
 またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣と契約を立てる。
11:わたしがあなたたちと契約を立てたならば、
 二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、
 洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
 12:更に神は言われた。
 「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、
 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
13:すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
14:わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
15:わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、
 すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。
 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
16:雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、
 すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」
 17:神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」


 今日、わたしたちは韓国から茨城県の水戸芸術祭に招待された
ソウル・ウィメン・シンガーズの皆さんと礼拝を共に致します。
 この素晴らしい合同礼拝は英美子先生の出身教会である
聖書キリスト教会・東京教会の音楽主任であるチェ先生のお働きによって実現しました。
この機会を与えてくださった神に心から感謝致します。

 今日、わたしたちは永眠者を記念する礼拝を守っています。
 わたしたちの教会では聖徒の日、永眠者記念日と言い、
わたしたちの教会に直接・間接的に関係する死者を記念する日です。
 しかし、わたしたちはここに、死者の魂を慰めるために集まったのではありません。
死者を礼拝し拝むためにわたしたちはここにいるのではありません。
また、愛する者が死によって奪われた悲しみを慰めるためにここにいるのではありません。
 そうではなくて、この死者を永遠の命を与えられた神様を讃美するためにここにいるのです。
わたしたちの悲しみの涙がぬぐいさられ、
復活の喜びを体験するその日を信じてわたしたちはここにいるのです。
 死者を覚えるということは、わたしたちの過去を忘れずに覚えるということです。
過去を振り返って、わたしたちの教会の歴史やわたしたち自身の人生に関わった人々を思い起こすのです。
それは歴史を忘れないということです。

 今日、わたしたちは先ほど創世記9章の聖書の言葉を聞きました。
人類の大昔にあった大洪水を神様の恵みによって生き残った
ノアという人と神様との契約の言葉を聞きました。
 大昔、人間が増えるに従って悪いことばかりをしていることを神は悲しみ、
大洪水によって人間を滅ぼしました。
 ただノアだけが神の命令に従って巨大な箱船を作り、これによって大洪水を生き延びます。

 創世記9章は、ノア物語の最後の部分で、
神がノアと彼の子孫との間に結ぶ平和の契約について語られています。
 神は二度と洪水によって人間を滅び尽くすことをしないと約束してくださり祝福されました。
その契約と祝福の徴が空の虹だと神様は言われました。

 聖書は神と人間の契約の本です。神と人間との間の平和の契約を聖書は伝えています。
神と人間との間に平和の契約が結ばれたからと言って、
聖書は過去の人間のしたさまざまな過ちや罪を決して忘れてしまおうとはしていません。
そうではなくて、人間のありのままの罪の姿を記録し、何千年もの間、伝え続けてきました。
これは聖書が、神によって罪を赦された人間によって書かれているからです。

 罪人は、「自分が罪人である」と言うことはできません。
そうではなくて、「自分は正しい。神が間違っている。わたしは神よりも正しい」と罪人は主張するのです。
 しかし、神によって罪を赦されたとき、初めて人間は、自分の罪が分かり、
「わたしは神の前に罪を犯しました」と罪を告白し、悔い改めようとします。
 神によって罪を赦された人間は、自分の罪の過去を決して忘れようとはしません。
むしろ自分の罪を人々に伝えようとします。

 ですから聖書には、多くの人間の罪が記録されています。
パウロも自分がかつてクリスチャンを迫害し、
キリスト教会を攻撃した過去を決して隠したりせずに自分から告白して
人々に自分の罪を明らかに伝えています。

 今日はこうして韓国からの姉妹たちをお迎えしてわたしたちは礼拝を共にしています。
日本は韓国を侵略し、大変なひどい目にあわせましたけれど、
韓国の方々はわたしたち日本の国と日本の教会の罪をイエス・キリストにあって赦してくださって、
礼拝を共にしてくださっています。
 韓国と日本の教会の間にはわたしたちの諸先輩の努力によって和解と平和が今あります。
ですから、わたしたち日本のキリスト教会は、わたしたちの国、日本がかつて韓国を侵略し、
大変に残虐なことをした過去を決して忘れずに語り伝えてゆく義務と責任を負っています。
 日本の神道などが言うように、過去のことは
「水に流す」「きれいさっぱり忘れてしまう」とはわたしたちは考えてはなりません。

 先ほどの韓国の姉妹たちによる美しい歌声は、
ノアが見た神との間に交わされた平和の契約の徴である虹ではないでしょうか。
そして、その美しい歌声は、わたしたち日本基督教団が今日に至るまで、
靖国神社に反対し続け、
わたしたち自身の責任を負おうとしてきたことに対する神様からの慰めではないでしょうか。

 わたしたちは今日、わたしたちに関係のある死者を記念してここに集まりました。
この前の写真の人々ばかりではなく、
わたしたちの心の中にある全ての今は世を去った人々を記念するためにここに集まりました。
その人々を思い起こし、記憶するために、
その人々の存在を忘れないためにわたしたちはこの礼拝を守っています。

 わたしたちのお世話になった人、恩人もたくさんわたしたちの心の中には思い浮かぶでしょう。
しかしまた、わたしたちを傷つけた人々、
あるいはわたしたちを憎んでいた人々もいるのではないでしょうか。
「あの人は、わたしを憎んでいた」ということは自覚することが難しいことですが、
わたしたち人間は憎むことがあるのですから、
わたしたちを憎んでいる人がいるのは当然のことです。

 あるいはまたその人が生きていた時は気が付かなくても、
時の経過と共に、その人がどんな気持ちで生きていたかが分かって愕然とすることがあります。
 わたしたちはもはや直接、その人々に感謝の気持ちを伝えることはできませんし、
謝罪することもできません。そして赦しを請うこともできません。
わたしたちには償うことのできない大きな負債があります。
 しかし、だからとってわたしたちはその人々を忘れてしまっていいのではありません。
また忘れようとするのではなくて、忘れないように記憶に留めようとするのです。
なぜならば、神は主イエス・キリストの貴い犠牲の死によって、
わたしたちのこの全ての負債、罪を赦してくださっているからです。
 主イエス・キリストによる大いなる罪の赦しの御業の中で、
御業によって、神の愛の中で、
わたしたちは初めてわたしたちのありのままの醜い姿を認めることができるからです。

 そして今日、わたしたちは、この礼拝に集い、わたしたちの死者を思い起こしています。
忘れずに記憶に留めようとして、わたしたちはここにイエス・キリストの御名によって集まっています。
 ですから神は言われました。 

 9:「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
10:あなたたちと共にいるすべての生き物、
 またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣と契約を立てる。
11:わたしがあなたたちと契約を立てたならば、
 二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、
 洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」

 神は、わたしたちに「勇気をもって生きなさい。」と言っているのです。
神はわたしたちに敵対しているのではなく、神がわたしたちの味方になってくださっているのです。
 わたしたちは神の御名を讃えるためにここに今、集まっています。
 わたしたちの主イエス・キリストに栄光が限りなくありますように。

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
              Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会
              Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

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