
水戸中央教会 説教 2006年9月24日
「奉仕する共同体」
マルコによる福音書14章1〜9節( 新約p90)
1:さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。
祭司長たちや律法学者たちは、
なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。
2:彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
3:イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、
食事の席に着いておられたとき、一人の女が、
純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持って来て、
それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
4:そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。
「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。
5:この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人人に施すことができたのに。」
6:イエスは言われた。
「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。
わたしに良いことをしてくれたのだ。」
7:貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。
しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
8:この人はできるかぎりのことをした。
つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
9:はっきり言っておく。
世界中どこでも、福音が伝えられる所では、
この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
「ロード・オブ・ザ・リング」というファンタジー映画が数年前にありました。
わたしはテレビで放映されるのを一部見ただけですが、こんなお話でした。
世界を支配する魔法の力を持った指輪をめぐるお話です。
これはトールキンという方が書かれた「指輪物語」が映画化されたものだそうです。
フロードという名の森の小さな人間に似た生き物が主人公でした。
彼は全世界を支配する力を与える指輪を持っています。
その指輪をはめると彼は世界を支配する力を与えられますが、
同時に持ち主を独裁者と代えてしまうのでした。
もし、彼が指輪を壊すなら神の秩序が世界に回復されますが、彼自身は無力にされるのです。
もし、指輪を持ち続けるならば、彼は支配者になり、
指輪の力に伴うモラルの腐敗を招くというお話でした。
コンピューターを駆使した迫力のある映像が話題となった映画でもありました。
森の妖精やら魔法使いや悪魔のようなものが沢山登場してきますが、
根本的なところは聖書にあるイエスの荒野の誘惑が下敷きにあることは明白です。
悪魔は、
「わたしを礼拝するならば、この全世界の繁栄はあなたのものだ」
とイエス様に言って誘惑しました。
ラルフ・モーア牧師という方がアメリカにいらっしゃいます。
彼はカリフォルニアでホープ・チャペルという教会を立ち上げ、
当時のヒッピーやサーファーなどの若者にイエス・キリストの福音を伝道された方です。
後にハワイに行かれ、日系アメリカ人のための教会を作られました。
大変に多くの人々の魂をイエス・キリストへと導かれた方です。
英美子先生(水戸中央教会牧師)は、このラルフ・モーア牧師のセミナーに参加されたり、
先生が日本に来られたときに案内をしたりしています。
彼女の本棚にあったこのラルフ・モーア牧師の著書「指輪を捨てろ」を先日、たまたま読みました。
彼が牧会をしたホープ・チャペルの歴史は常にこの自分が支配しようとする、
コントロールしようとする指輪を投げ捨てることによって発展してきたということです。
信仰によって生きるとは、この指輪を捨て、神に降伏することであると教えてくださっています。
神に降伏することが、勝利の人生への鍵であるとモーア牧師はご自身の体験を通して、証ししています。
ラルフ・モーア牧師の言葉は、わたし自身を振り返るよい機会でした。
わたしたちはイエス・キリストを信じる信仰を神様から与えられていますが、
それでもなおこの指輪の誘惑の中にあります。
モーア牧師はカリフォルニアではじめられた教会に何千人と集まるようになり安定してきたとき、
神の言葉によって、その教会を後継者に譲り、自分はハワイに新たな教会を設立されます。
彼の人生は、この連続によって、さらに豊かなものとされていったのです。
神は、彼に住み慣れた自分の世界を捨てて、常に新たなチャレンジを求めました。
そして彼は、ただ、信仰をもって従ったのです。
3:イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、
食事の席に着いておられたとき、一人の女が、
純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壷を持って来て、
それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
4:そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。
「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。
5:この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人人に施すことができたのに。」
6:イエスは言われた。
「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。
わたしに良いことをしてくれたのだ。」
7:貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。
しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
8:この人はできるかぎりのことをした。
つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。
9:はっきり言っておく。
世界中どこでも、福音が伝えられる所では、
この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
信仰を与えられてイエス・キリストに従うわたしたちではありますが、
それでもなおわたしたちには名誉欲もありますし、人から気に入られたいという思いもありますし、
気に入られなくても構わないと思っても、人から軽蔑されたり、さげすまれたりすることは好みません。
イエスが食事の席に着いておられたとき、一人の女が高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎかけます。
300デナリオン以上の価値がこの香油にはあったことがその場に居合わせた人々の言葉から分かります。
1デナリオンはふつうの労働者の一日分の給与に相当するそうですから、
ほぼ一年分、現在の日本の感覚ですと300万円くらいです。
いくつかのポイントがこの記事にはあります。
まず、目に留まるのは、
「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、
この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
と言われていることです。
ヨハネ福音書では、この女がマリアであったと伝えられていますが、ここには伝えられていません。
わたしは、このマルコの伝えたイエス様の言葉に大きな意味を感じます。
つまり「この人のしたこと」が伝えられるのであって、
「この人の名前」ではないということです。
わたしたちは、なんだかんだといって、
自分が認められることをクリスチャンとなっても求め続けるものです。
そして、とどのつまりは自分の名を残そうと無駄な労苦を積み重ねています。
「わたしに良いことをしてくれたのだ」
とイエス様はおっしゃっています。この言葉も大変に印象的です。
わたしたちは、女の行為に憤慨して
「なぜこんな無駄遣いをしたのか、これを売って貧しい人々に施したならば良かったのに」
ということを言いがちです。主イエスを愛するということをわたしたちは知らないのです。
この社会正義を持ち出すのは、大きな罠であり、誘惑です。
わたしたちの信仰はイエス・キリストを主と仰ぎ、主イエスを愛することです。
信仰は社会的正義の土台であって、社会的正義が信仰の土台となることはできません。
主イエスがわたしたちの支配者であり、主イエスがわたしたちをコントロールする方です。
この方を愛することにより、この方に支配されることにより、
わたしたちは恐ろしい独裁者となって、モラルの退廃を招き、魂が滅ぼされ、
内側からボロボロに崩れ腐ってゆくことから免れることができるのです。
わたしたちは生きた人間であり、生きた人格を持った存在です。
ですから、わたしたちを支配するのは抽象的な概念や正義ではなくて、
やはり生きた人格を持った方でなければなりません。
そしてそのように人間は創造されたのです。
神は人格をもった永遠なる方です。
神によってわたしたちは人として、神に応答する者としてこの世に生きています。
この神様とわたしたちは人格的な関係を持っているでしょうか。
この人格的な関係を築こうとしているでしょうか。
この神との人格的な関係の中において信仰は初めて生き生きとしたものとなることができるのです。
この人格的な関係を築く最たるものが祈りであり、神の言葉である聖書に耳を傾けることです。
神を愛するとき、わたしの名が残るかどうかということは問題となりません。
神の御名が誉め称えられ、神様が喜んでくださることがわたしたちの関心事となります。
神はわたしたちを愛して下さっています。
その愛に答えて、わたしたちは神を愛し、自分を愛するように人を愛します。
支配すること、コントロールすることが愛ではありません。
親子関係でも同じですが、親が子どもを支配し、
コントロールしようとすると親子関係は破綻をきたします。
その他の人間関係においてもこれは同様のことが言えるでしょう。
人格的な関係は支配とコントロールではなく、愛にあるからです。
神は永遠のわたしたちの支配者ですが、
わたしたちを決してコントロールしようとしたり、支配しようとしたりはなさいません。
それは、この世の誰もが神を知らぬ者でさえ知っています。
そして、わたしたちが神を「そんな者はいない」とうそぶき、この世を支配し、
少しでも自分の支配力が強くなればと願い思い煩っていることも紛れもない事実です。
このようなわたしたちを憐れんで神は御子イエス・キリストをこの世に使わして、
わたしたちの救いのためにその命を犠牲として捧げて下さいました。
わたしたちは祈りましょう。
十字架の主イエスを見上げる、謙虚な心をあたえて下さい。
このかたくなな心を溶かす神の愛の真実をわたしたちに分からせて下さい。
どうぞ、わたしたちがこの支配の指輪を外して捨て去ることができますように。
神の前にただひれ伏し降伏することができますように。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee
of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society
, Tokyo 1987,1988