水戸中央教会 説教 2006年4月23日
「聖霊を受けなさい」
ヨハネによる福音書20章19〜31節
19:その日、すなわち週の初めの日の夕方、
弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
20:そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
21:イエスは重ねて言われた。
「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、
わたしもあなたがたを遣わす。」
22:そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23:だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
24:十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、
イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
25:そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、
また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
26:さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。
戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、
「あなたがたに平和があるように」と言われた。
27:それから、トマスに言われた。
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、
わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28:トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。
29:イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は、幸いである。」
30:このほかにも、イエスは弟子たちの前で、
多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書いていない。
31:これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
31:これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
イエス・キリストの復活を伝える弟子たちの思いは、ここによく表れているのではないでしょうか。
誰のためでもない、わたしたちのために聖書が書かれたと言われています。
それは信じない人々が、信じるようになるためであり、永遠の命を得るためです。
誰の利益のためでもない、わたしたちのためにイエス・キリストの復活が伝えられ、
福音が語り継がれているのです。
新興宗教ならば、それは大概、教祖が儲け、物質的に豊かになるためと相場が決まっています。
神道などのような自然発生的な御利益宗教ならば、
わたしたちの心が、まず御利益を求めて、その宗教へ赴きます。
しかし、神の福音は、それを受け取った人々が、人々のところへ赴きます。
少し語弊はありますが、神から御利益を確かに受け取った人々が、
他の人々のところへそれを伝えるのです。
この御利益とは現世的な利益を無とするようなはるかに大きなものです。
十字架につけられて後、復活したイエス・キリストは弟子たちに現れて言います。
21 あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
このイエス・キリストの言葉による聖霊の力によって、わたしたちは動かされて、教会に集い、
御言葉を人々に伝えようとしているのです。
根本的に何か自分の利益になるとか名誉を求めて、
わたしたちは福音を人々に伝えようとするのではありません。
イエス・キリストが十字架につけられて死んだことも、
この福音の恵みがただ神からわたしたちに与えられたものであることを証明しているとわたしは思います。
イエス様ご自身が、この福音によって何らこの世的な利益を得ていません。
むしろ、彼は、福音を伝える事によって十字架につけられるという不利益を被っています。
福音を語る事によって、生涯を全うしたわけではありません。
わずか2年あまりの活動期間で30歳代でこの世を去っています。
王座についた訳でもなければ、高い地位に上り詰めた訳でもありません。
イエス・キリストの教えは真実であり、わたしたちの主イエスは真実な方です。
わたしたちもこの方に触れ、関わりを持たせていただく事を通して、真実な者へと変えられてきました。
偽りを好む自分自身が真実を好む者へと変えられてきました。
わたしたちはより正直に率直な者へと変えられてきました。それは確かにわたしたちに起こっています。
もちろん、他の人々と比べて、わたしたちは真実だということは出来ません。
しかし、わたしたちはもはや自分たちが正しい者であるという主張は致しません。
わたしたちは自分の過ちや欠点がぼんやりではありますが、分かるようになりました。
それは、心の中で「あの人はここが悪い」「この人はこんな欠点がある」という批判ばかりして
自分の存在を確認している自分に気が付いたのです。
復活のイエス・キリストが最初に弟子たちに現れたとき、ディドモ呼ばれるトマスがそこにいませんでした。
他の弟子たちは、「わたしたちは主を見た」とトマスに伝えますが、トマスは信じられませんでした。
疑り深いトマスと言われますけれど、トマスだから信じなかったということではありません。
別にこれは、ペテロでも、ヨハネでも他の弟子たちでもトマスのような立場になったら同じ事を言ったのです。
実際、ルカ福音書などで、最初に婦人たちにイエス様が現れたとき、
使徒たちは、「たわごとのように思った」と書かれています。
イエス・キリストの復活とはそのように信じがたい出来事なのです。
ですから、わたしたちがイエス・キリストを信じているということは、
多少なりともイエス様がわたしたちに直接働きかけてくださっているという事の証明であり。
わたしたちは特別な恵みを受けているのです。
イエス様ご自身が、直接、わたしたちに語りかけてくださっているから、
わたしたちは信じる事が出来るのです。その力は聖書の言葉を通して働いています。
そして、イエス・キリストを信じた人々との出会いを通じて信仰はわたしたちの中に芽生えます。
わたしたちは確かにイエス・キリストの使者です。
日本ではキリスト教を信じる人々は、今のところ大変まれですが、それは当然の事です。
イエスの弟子たちですら、イエス・キリストを認識し、信じることは困難であったからです。
むしろ信じる人がいるという事が驚くべき事かも知れません。
キリスト教は、ローマ時代、社会の下層の人々、女子どもや奴隷の間に広がってゆきました。
御用宗教に成り下がってしまった事も度々ですが、基本的には国家権力などからは目の敵にされてきました。
イエス・キリストを伝えるために、孤児院を建てたり、病院を建てたりしています。
具体的に人の助けになることを通して、キリストを伝道しようとしています。
日本の伝統宗教である神道が、
「神道の教えは大変に正しいので、これを知ってもらうために海外に病院を建てたとか、孤児を援助している」
という話を聞いた事がありません。戦争で占領したアジアの国々に、神社参拝を強要したという事は聞いた事があります。
もちろん、キリスト教の歴史の中にも、
あるキリスト教国がとなりの国を占領したときに
自分たちのキリスト教を受け入れない者を皆殺しにしたというようなお話は沢山あります。
しかし、それらは反省すべき事であって、キリスト教とはそのようなものだという本質ではありません。
本質がそうではないから反省すべき事になるのです。
神は、わたしたちを救ったからといって何の益にもなるわけではありません。
ただわたしたちを愛して下さったので、
わたしたちに救いの手を差し伸べて、イエス・キリストをこの世に送って下さいました。
ですから、わたしたちも身を低くして、人々に仕えようとするのです。
そして人々に仕える事を通じて、イエス・キリストのわたしたちへの愛を証ししようとするのです。
時にはののしられる事もあります。非難や批判にさらされることもあります。
そんな時でも、その批判は非難やののしりに対して直接に言い返さずに、
わたしたちがいられるのは、神の愛によってわたしたちが生かされて、
何とか御言葉を伝えたいと思うからです。
31 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、
また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
このヨハネ福音書を著した人あるいは人々は、
これで一儲けしようと企んだり、有名になろうとしたのではありません。
イエス・キリストの真実に心を打たれて、これを伝えようとしているのです。
その真実な訴えに耳を傾けたいものです。
この世には、「一儲けできればいい」「自分が有名になれればいい」という類の書物で満ちあふれています。
ベストセラーという言葉に踊らされてはなりません。
ベストセラーになると何か読んで理解しなければならない強制力が生じるようにわたしたちは思ってしまいます。
ベストセラーになると権威がその本に生じるように思ってしまいますが、全くそうではありません。
聖書は、わたしたちに永遠の命を与えるために多くの人々の手を通して神様がわたしたちに与えて下さったものです。
これによって、書いた人々も神様も何か利益が得られるという訳ではありません。
ただわたしたちのためにこの書物は著されたのです。
その労にわたしたちは誠実な対応をしているでしょうか?
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee
of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society
, Tokyo 1987,1988