水戸中央教会 説教  2005年10月2日 

「この世の権力とわたしたち」

マタイによる福音書22章15〜22節

 15:それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、
 罠にかけようかと相談した。
16:そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。
「せんせい、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、
だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。
17:ところで、どうお思いでしょうか。お教えください。皇帝に税金を納めるのは、
 律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
18:イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
19:税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、
20:イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
21:彼らは「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。
 「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
22:彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

 わたしたちの水戸中央教会は、日本という国の中の水戸市にあります。
 わたしたちのほとんどは水戸近郊に住んでおり、多くの方が日本国籍です。
日本はキリスト教国ではありませんから、
わたしたちクリスチャンの生き方と日本国民としてのあり方が両立しないこともあります。
 しかし、これは日本ばかりでなく、キリスト教国においても状況は同じです。
なぜならば人の支配する国と神の支配する国とには明らかに相違があるからです。
 人の支配する国と神の支配とが対立しているという訳ではありません。
人の支配は不完全であり、神の支配にまだ従っていない部分が沢山あるのです。

18:イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。
19:税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、
20:イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。
21:彼らは「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。
 「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」


 「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

という言葉は、どのように理解されるべきでしょうか。
 この言葉はしばしばキリスト者の政治的無関心を助長してきました。
そして特に第二次世界大戦後、大きな反省をもって教会はこの言葉を捉え直す努力をしてきました。
ユダヤ人を虐殺し、全世界を戦争に巻き込んだナチス・ドイツへの抵抗運動を鈍らせたのは
このイエス様の言葉であると考える人も日本には大勢います。
実際のところドイツ国内の抵抗運動は確かにナチスの暴政を自分たちで食い止めることは出来ませんでしたが、
非常に広範なものでした。そのことは、戦後ドイツが直ちに罪責告白をして、
自分たちの誤りを認め、謝罪したこと、そして今も謝罪していることに明らかです。

 歴史の浅い日本のキリスト教会では、大日本帝国時代に、キリスト教会が天皇を神として崇め、
宮城遙拝をしてから礼拝を始めたということについての組織だった抵抗運動はなされませんでした。
勢力も弱く、歴史も伝統もない日本のキリスト教会ということを考えれば、それはやむ得ないことであったと私は考えます。
また当時の軍国主義一色の社会情勢の中で違うことを行うことの難しさは非常なものであったことは想像に難くありません。
私は当時に生きていないのですから、当時の人々を非難することは出来ません。

 しかし、次の世代を担ってゆく者の一人として、
わたしたちはこの日本基督教団の過去について無関心であってはなりません。
 以前にも一度、お話しさせていただいたと記憶しますが、
米沢興譲教会の田中信夫牧師の説教でこんなことを聞きました。
 米沢興譲教会は、ホーリネス系の教会で、第二次大戦中、政府から大変な迫害を受けました。
彼らは宮城遙拝に対して抵抗したからです。
 米沢興譲教会は、礼拝禁止となり、主要な信徒には特別高等警察の監視がついたそうです。
遠藤きんさんというご婦人は大変熱心な信徒で危ないということで、
この方に特高の警察官が彼女を監視していました。
 戦争が終わって特高警察が東京に帰るとき、彼女は駅まで見送り、
「長い間、お役目ご苦労様でした。」と挨拶をされたと言うことです。

 田中信夫牧師は、様々な批判はありますが、日本の福音伝道にめざましい働きをなさっており、
米沢興譲教会は、現在、日本をリードする教会の一つになっています。
批判されるほど、成長したのです。
 田中信夫牧師がアメリカ流の伝道の仕方でうまく成功したというのではなくて、
田中信夫牧師を生み出す確かな素地が米沢興譲教会にはあったのだと改めて思わされた次第です。
 わたしたちは、この水戸中央教会の過去の歴史と比べるとき大きな違いが明らかになります。

 水戸中央教会は過去に大きな混乱を経験しました。
この混乱の最も本質的な問題はわたしたちの教会が、
神と人とに対して犯した罪をうやむやにしてきたことにあるのです。
このうやむやにしたところに悪魔が付け入る場所があったのです。
わたしたちはこのうやむやをはっきりと罪として告白し、神に赦しを請わねばなりません。
当時の人々を非難したり、批判したりするためではありません。
わたしたちの未来を神の導きの手に委ねるためです。
 わたしたちの水戸中央教会は設立の当初に非常に大きな悪魔につけ入れられる隙を作っています。
みなさんもよくご存じのように潮田忠三牧師は、戦前から牧師として活動をされていましたが、
牧師を辞めて、自ら進んで帝国軍人となり、戦後、神学校に再び入り直して牧師となられました。
いわゆる転向者なのですが、罪の告白はなされていませんでした。
私が赴任して来ましたときに、潮田家の方が、潮田先生がこの争いの根源にあることをみなさんの前で告白されました。
あのとき、わたしたちのいわゆる水戸中央教会問題は解決したのです。
「父のなしたことで、みなさまにご迷惑を本当におかけして済まなく思います。」
という涙ながらの告白によって、今の水戸中央教会はあるのです。
あのとき、水戸中央教会の未来が開かれたのです。
ですから今、私たちは潮田忠三先生のお働きに心から感謝をすることができるのです。
また潮田先生のご苦労に思いを寄せることが出来るのです。

 1967年、日本基督教団議長 
鈴木正久牧師は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を日本のキリスト教他教派に先駆けて公にしました。
この告白は当時大きな議論を呼び、未だに日本基督教団全体においては承認されていない有様ですが、
しかし、それはわたしたちがこの責任の告白をしなくてもよいという理由にはなりません。
他教派では最近になってようやくこれらの告白が公にされています。
むしろわたしたちはこの告白が既に40年も前になされていることに誇りを持つべきであり、
これが実質化されてこなかったことを恥じるべきです。

「第二次大戦下における 日本基督教団の責任についての告白

わたくしどもは,1966年10月,第14回教団総会において,教団創立25周年を記念いたしました。
今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。
わたくしどもは,これを主題として,
教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え,また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ,わたくしどもは,教団成立とそれにつづく戦時下に,
教団の名において犯したあやまちを,今一度改めて自覚し,
主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
 わが国の政府は,そのころ戦争遂行の必要から,諸宗教団体に統合と戦争への協力を,国策として要請いたしました。
 明治初年の宣教開始以来,わが国のキリスト者の多くは,
かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが,
当時の教会の指導者たちは,この政府の要請を契機に教会合同にふみきり,ここに教団が成立いたしました。
 わたくしどもはこの教団の成立と存続において,
わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え,
深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。
「世の光」「地の塩」である教会は,あの戦争に同調すべきではありませんでした。
まさに国を愛する故にこそ,キリスト者の良心的判断によって,祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは,教団の名において,あの戦争を是認し,支持し,
その勝利のために祈り努めることを,内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき,わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。
わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって,この罪を懺悔し,主にゆるしを願うとともに,
世界の,ことにアジアの諸国,そこにある教会と兄弟姉妹,またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から20年余を経過し,わたくしどもの愛する祖国は,今日多くの問題をはらむ世界の中にあって,
ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。
この時点においてわたくしどもは,教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく,
日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように,主の助けと導きを祈り求めつつ,
明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年 3月26日復活主日
日本基督教団 総会議長 鈴木正久 」

 今日は世界宣教日、世界聖餐日です。
全ての教会の一致を目指すとき、ここの教会の罪の告白が求められる日です。
 あの当時の責任を告白しつつ生きるということは、なにも左翼の政治活動に協力したり、
政治、社会活動をしなければならないということでは決してありません。
 ただ主イエス・キリストを礼拝することを大切にしてゆくということです。
偶像を拝まない、偶像に屈しないということです。そして、わたしたちは過ちます。
そのとき、居直るのではなくて、神に赦しを求めるということです。
 わたしたちは批判しあう共同体ではありません。
赦しを請う、その赦しを大いなる決意をもって赦す共同体なのです。
「神のものは神に返しなさい」
と、主は言われます。悔い改めこそが神に返すべきものなのです。

聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
              Executive Committee of The Common Bible Translation
           (c)日本聖書協会
              Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

テモテ牧師礼拝説教