
2005年度 日本基督教団茨城地区女性部修養会
開会礼拝説教
2005年10月6日(木)水戸中央教会にて
水戸中央教会 牧師 山本隆久
ヘブライ人への手紙13章14節
13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。
初めに水戸中央教会を代表しまして、茨城地区女性部のみなさまに感謝を申し上げます。
私たちの教会は20年以上の長きに亘って、混乱の中にありました。
そのために20年近く女性部の活動は休止状態にありました。
3年ほど前、茨城地区女性部の問安を受けたとき、私たちはまだ問題のただ中にいました。
女性部への復帰など考えられない状況にありました。そして今日のような日を迎えることが出来るとは考えてもいませんでした。
本当にみなさまのお祈りのおかげと感謝しています。
長い教会の問題を通して、私たちは祈りの大切さを学びました。
議論で、問題は解決するのではなく、祈るときに物事が動き出し、出来事となるという神の言葉の真実を体験しました。
そして今日は別件ではありますが、関東教区からも議長の三浦修先生、書記の飯塚拓也先生、
常置委員の塚本潤一先生をお迎えしています。
水戸中央教会問題のただ中で1988年3月8日付けのお手紙で、当時の議長鈴木一義先生より、
水戸中央教会に礼拝の秩序についてのご指導を頂いています。
また、それに対して教会幹事会の預かり知らないところで、
水戸中央教会の会員から議長宛に内容証明郵便の質問状が送り届けられています。
それらの過去の出来事を思うとき、
今日のこの日の意味とこの日に対する感謝は私たち水戸中央教会にとって大変に大きなものであり、
また茨城地区、関東教区のみなさまに心より感謝を申し上げます。
さて、ヘブライ人への手紙の主要なモチーフは、「旅をする神の民」と言われます。
かつてイスラエルの民がエジプトを脱出し、40年に亘る荒野の旅を経て約束の地カナンへたどり着きます。
イエス・キリストの十字架の死と復活の御業を信じる時、わたしたちはこの世にあって永遠へ向かっての旅へと呼び集められるのです。
13:14 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。
この御言葉は、わたしたちクリスチャンの旅がどのようなものであるかを端的に言い表しています。
キリスト者のアイデンティティがこの短い言葉に結晶化されています。それはクリスチャンとしての決意でもあります。
「わたしたちはこの地上に永続する都を持っていません。」
この言葉がいかに多くの悲しみの中にあるクリスチャンを慰め、励まし続けてきたことでしょうか。
この世における挫折、人生の失敗、経済的な破綻、社会的な名誉の失墜、愛する者との別離など、
わたしたちが悲嘆と絶望に捕らわれるとき、この言葉はわたしたちに真の人生とはなにかを示し続けてきました。
この世にあってわたしたちが悲しみと絶望と悲嘆にくれるということは、
とりもなおさず、わたしたちがこの地上に永続する都を築き上げようとするからです。
この地上は、わたしたちが自分たちの王国を築くところではありません。
私自身が人から賛美され、賞賛を受けるようとするところ、
あるいは「自分は彼らまたは彼女らよりもましだ。」
と自分で自分を高めようとする思いは全てこの過ぎ去りゆく世に少しでも永続する自分の都を築こうとする行いです。
それはあのバベルの塔を築こうとする行為です。
悲しみの中にあってこの言葉に出会うとき、わたしたちは真の人生の意味と目的に向かって歩み始めるのです。
私が賛美されるところではなく、私たちが褒め称えられるところではなく、私たちを通して神が褒め称えられ、
神の御名が賛美されるところに私たちの生きる意味があるのです。
「わたしたちは、来るべき都を探し求めているのです。」
私たちの人生の意味と目的は、来るべき永遠の未来によって定められています。
今、あなたがどのような状態にあり、どのような価値があるかによってあなたの人生の意味は決定されるのではないのです。
あなたの人生の意味と価値はあなたが受け取るべき未来の永遠の命によって決定されているのです。
今のあなたがどんなに惨めな価値のない者であるように思えても、
生きる意味などどこにあるのかと思えるような人生であったとしても、
そのことによってあなたの人生の意味は決定されるのではないと聖書は教えています。
あなたの人生の意味を決定するのは神であって、私ではもちろんありませんし、
彼でもなければ、彼女でも、彼らでもなく、そしてあなた自身ですらないのです。
そして天地を創造された唯一真の神は、あなたの人生は高価で貴いとおっしゃったのです。
あなた方がイエス・キリストを信じ告白しているという事実が、そのことの証明です。
イエス・キリストの御名を信じる者の未来は確定しています。ですから、聖書は占いを禁じているのです。
手相やら星占い、干支によってあなたの人生は決定されるのではありません。
イエス・キリストを信じる信仰によってあなたの未来は最大の幸福を保障されているのです。
神が確立された確かな未来が、私たちの今を作り出してゆくのです。
過去があって今があり、今をどう生きるかによって未来が決定されるのではありません。
因果応報の世界に私たちは生きているのではありません。
イエス・キリストによって、私たちに全ての恵みが注がれています。
永遠の未来へ向かって私たちが旅立つとき、私たちの過去が輝き始めるのです。
あの惨めな、どうしようもない過去のあるいは現在の自分の姿が神の恵みに包まれていたこと、
そして、包まれていることに私たちは気づくのです。神の恵みが現れるために私たちは生きています。
私たちの栄光が現れるために私たちは生きているのではありません
来るべき都へ向かっての旅がどのように具体的に行われるかが続く15節以下に示されています。
13:15 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
私たちが喜びの中にあるときばかりではなく、私たちが無視され、ないがしろにされ、さげすまれるとき、
そのときもまたイエス・キリストの御名を私たちが賛美するときです。
この苦難の中での賛美の時、私たちは永遠の命の確かさを確かめ、永遠の命に生きるのです。
13:16 善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
イエス・キリストの御名の賛美と、善い行いと施しによって永遠の都への歩みは続けられます。
それは来るべき永遠の都は幻想でも空想の産物でもなく、この来るべき都こそが実在する確かな未来であるがゆえに、
私たちは善い行いと施しをなすのです。
単なる空想と幻想の産物であるならば、どのみち到達しないのですから、私たちが悪を行おうが、
人からむさぼり取ろうが構わないのです。
私たちはあふれんばかりに与えられている未来の恵みによって生きているでしょうか?
私たちは本当は未来の恵みなどどうでもよくて、
この世にどんなにささやかであって吹けば飛ぶようであっても自分の王国を作り出そうとあくせくしていないでしょうか?
「こんなことをしたら人はどう思うだろう?」と言う不安に駆られることがないでしょうか?
本当は、神のことを思うべきであるのに、私たちは人の目を気にしていないでしょうか?
先にも申し上げましたが、今日は関東教区からも議長の三浦修先生、書記の飯塚拓也先生塚本潤一先生がいらしています。
中越地震被災教会支援の募金要請のためにわざわざおいで下さいました。
私も地区長としてこの支援の拡大委員会に加わえられて思うのですが、
本当に被災された教会はご苦労されているということを感じます。
私も東北教区で雪の大変さは、多少、知っております。
水害、地震、雪害に一度に見舞われた被災教会の大変さは想像に難くありません。
その上、被災教会はどれも小規模な教会で私たちの支援がなければ、
とても教会そのものを維持してゆくことすら困難な状況です。
後ほど、三浦議長より詳しい説明を頂きますが、どうぞご理解とご協力を私からもお願いいたします。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee
of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society
, Tokyo 1987,1988