
水戸中央教会 説教 「新しくされた者の生き方」 2002年8月11日
補教師 山本英美子
エフェソの信徒への手紙4章17節−32節
17:そこで、わたしたちは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。
彼らは愚かな考えに従って歩み、
18:知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。
19:そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。
20:しかし、あなたがたはキリストをこのように学んだのではありません。
21:キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。
22:だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
23:心の底から新たにされて、
24:神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
25:だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
26:怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
27:悪魔にすきを与えてはなりません。
28:盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、
困っている人々に分け与えるにしなさい。
29:悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、
その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
30:神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
31:無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
32:互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
主要観念:神を信じたクリスチャンは、神によって新しくされた者であり、
聖霊の導きにより、古い生き方を捨て、全く新しい生き方をすることが可能であり、
それを信じて実践することが大切である。
暑い夏の日が続いています。
わたし達は先週夏休みをいただいて、新潟に行ってきました。
妙高高原で関東教区の向山荘に一泊させていただき、翌朝近くの池の周りを散歩しました。
睡蓮の花がたくさん咲いていて、とてもきれいな場所でした。
その時たくさんの蝉も鳴いていました。蝉が元気に鳴いていると、わたしはいつも夏を感じます。
小学生のある夏、わたしの家の庭で蝉が羽化しました。
庭の柘植の木に蝉の幼虫がついていたので、弟と一緒にずっと見守っていました。
すると幼虫の背中が割れて、中から白い成虫が出てきました。
それが時間の経過とともに少しずつ茶色に変化し、見慣れた蝉の姿に変わっていったのは本当に不思議でした。
また、この蝉が白い幼虫として7年間も土の中にいたというのはなおの事不思議に思えました。
土の中の幼虫も、空を飛び、鳴く成虫もみな同じ蝉ですが、その生態は全く違います。
殻を脱いで蝉が成虫になったらもう土の中を這い回ったりはしません。成虫は成虫らしく生きるのです。
わたし達は蝉のように外見は変わりませんが、
クリスチャンになったときに全く新しい存在に造りかえられたと聖書は語っています。
IIコリント5:17「 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
つまりノンクリスチャンからクリスチャンになったのは幼虫が成虫の蝉になったような大きな違いがあるというのです。
しかしわたし達はノンクリスチャンと全く違った者に変えられたにもかかわらず、
相変わらず以前と同じ生き方をして変だとは一向に思わないようです。
しかしパウロはエフェソの信徒への手紙において、
クリスチャンになったということがどれほどの変化をわたしたちにもたらしたのかを繰り返し教え、
新しくされた者として生きるようにと繰り返し勧めています。
パウロがこの手紙を書いた教会のあるエフェソは、
ローマ帝国のアジヤ州の首都で、経済的にとても栄えている町でした。
そして、この町には豊穣の女神アルテミスを祭る神殿があり、多くの人が参拝に訪れていました。
そしてこの参拝客や観光客によってエフェソの町に莫大な富がもたらされていたようです。
使徒言行録19章を見ると銀でアルテミス神殿の模型を作って金儲けをしていた職人デメテリオによって
パウロに対する暴動がおこっています。
これはパウロが3年もエフェソにとどまって周辺都市も含めて伝道したことにより、
アルテミス神殿を訪れる人が減るのではないかと脅威を感じたエフェソの町の人々によって起こされたものでした。
日本でいえば、伊勢神宮が伊勢市の中心にあり、伊勢神宮への参拝客によって町が潤っているのと似ている状況です。
このようにエフェソの町は偶像の神殿を中心とした異邦人の町でした。
また、アルテミス神殿での祭りは極めて官能的で、神殿売春も行われる不道徳なものでもありました。
パウロはこのような偶像礼拝の盛んな環境の中にいるエフェソ教会の兄弟姉妹に対して、
キリストによって新しくされた者らしく異邦人の悪しき行いから離れるようにと命じています。
17節の「愚かな考え」とは「目当てのない、無益な」という意味で、人生の目的を失った空虚な状態を表しています。
18節の「心のかたくなさ」の「かたくなさ」とはたこができて、感覚が鈍くなったり無感覚になったりした状態を指します。
つまり心に堅いたこができて、道徳的、霊的感覚が鈍くなってしまった状態です。
このようになると何をしても良心の呵責を感じたり、神の警告に耳を傾けたりすることができなくなります。
19節の「無感覚になる」とは、もう罪を犯しても何の痛みも感じなくなってしまっている状態です。
このように、空虚、暗黒、無知、心の鈍化により、異邦人は神のいのちから遠く離れ、罪によって身を汚し続けているのです。
パウロはわたしたちクリスチャンも救われる以前はこのようであったと述べています。
エフェソの信徒への手紙2章
1:さてあなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。
2:この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者,すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、
過ちと罪を犯して歩んでいました。
3:わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、
肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人人と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。
しかしキリストの福音を聞き新しくされた者は、これらの古い生き方が180度変えられるのです。
エフェソの信徒への手紙2章
11: だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、
いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。
12:また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、
この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。
13:しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
エフェソの信徒への手紙4章
20:しかし、あなたがたはキリストをこのように学んだのではありません。
21:キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。
22:だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、
23:心の底から新たにされて、
24:神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。
ここで、わたしたちがクリスチャンになるとは古い人を脱ぎ捨て、
心の深みまで新にされて、新しい人を着ることであると書かれています。
これは、古い人の上に新しい人を着るとか、古い人と新しい人を混ぜ合わせるのではなく、
完全に古い人と決別し、新しい人として生きることを意味します。
「心の深みまで新たにされた」とは、心の根源から一新されることを意味しています。
しかしここで一つ疑問に感じるのは、パウロが言うようにわたしたちが全く新しい者に変えられたのならば、
なぜわたしたちの生活はノンクリスチャン時代とそれほど変わらない罪や問題にまみれているのだろうかということです。
わたし達はやっと成虫の蝉になったのに、
空を飛ぶことも、自由に鳴くこともなく、相変わらず土の中にうごめいているかのようです。
実はわたしたちにはイエス・キリストを信じるだけでなく、
新しくされた者として日々神の子らしい生き方を選択する責任があるのです。
そしてそれは、この地上でのわたしたちの日常生活を変えるものです。
このときわたしたちが見習うべき模範はイエス・キリストです。
「エフェソ5:1 あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」
そしてわたしたちの導き手はわたしたちの内に住んでおられる聖霊様です。
エフェソの信徒への手紙4章
30:神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
わたしたちの心のうちで、わたしたちが神の御心を悟り、
それに従って歩むことが出来るようにしてくださるのは聖霊様ですが、
その聖霊様のみ声を無視したり、否定したりすれば聖霊様を悲しませることになります。
そしてそれを続けると、今度はわたしたちの心がたこのように堅くなり、霊的に無感覚になっていってしまいます。
ですから、聖霊様の促しにいつも素直に聞き従うことがとても重要です。
そして、「とても自分には難しくて実行できない」と思われる聖書の御言葉も、
聖霊様に頼るならば少しずつ従えるようになるのです。
エフェソの信徒への手紙
5:18 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、
とあるように、聖霊様に満たされること、心を支配していただくことがその鍵です。
パウロは25節以降で新しくされた者はこう生きなさいと、幾つかの具体的な命令を与えています。
1. 偽りを捨て、真実を語りなさい。(25節)
2. 怒っても罪を犯す前に解決しなさい。(26-27節)
3. 盗んではならない。かえって施しをするため働きなさい。(28節)
4. 悪い言葉を言わず、人の徳を高める言葉を語りなさい。(29節)
5. 無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、一切の悪意を捨てなさい。(31節)
6. 互いに赦しあいなさい。(32節)
この教えのどれ一つを見てもごく簡単な戒めのようですが、実行するとなるととても大変であることに気付かれたでしょうか。
エフェソ4:25
だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。
偽りではなく真実だけを語るという事一つをとってもなかなか難しいものです。
なぜなら、人間は自分に都合の悪いことは言いたがらないものだからです。
しかしもし自分に都合の良いことだけを報告してそれがすべてであるように言うならば、
それは真実ではなく偽りです。
また、真実にほんの少し作り事を混ぜて言うのも、偽りです。
最近色々な会社で不祥事が起こっていますが、
その時、「部下のしたことで自分は知らなかった」などと責任逃れや弁明をしたりするのもその一例です。
ですから、悪意ではじめから相手をだまそうとしておおぼらを吹くことだけがここで戒められているのではないことを考えると、
いかに真実を語ることが難しいかがわかります。
エフェソ4章
26:怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
27:悪魔にすきを与えてはなりません。
わたし達は日常よくけんかをしたり、怒ったりします。
しかしすぐに仲直りをしようとしても、なかなかできない事が多いと思います。
「日が暮れる」とはユダヤでは翌日が始まることですから、怒りはその日のうちに処理しなさいということです。
なぜなら怒ったままでいると、悪魔によってその怒りが相手への復讐などに向かう危険性があるからです。
そこでどんないさかいであれ、早く修復するようにと聖書は教えているのです。
以前わたしは、ある宣教団体の宣教師たちと一緒に奉仕しました。
しかし宣教方針の違いなどから行き違いが起こり、双方に誤解が生じました。
その時すぐに宣教師と面と向かって心を開いて話し合えば、誤解はすぐに解けたかもしれません。
しかしわたしは宣教師のとった態度に怒っていたので、彼らに対して心を閉ざして話をしませんでした。
ずっと後になってから、よく話をして誤解が解けたのですが、
長いことその問題を放置していた結果、感情的なわだかまりを解くのに、とても苦労しました。
その日のうちに怒りを処理せよというのは、とても大切な教えだと身をもって体験しました。
エフェソ4章
28:盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。
むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるにしなさい。
この盗むなという教えも、泥棒や横領をしている人にだけ語られているのではありません。
人から借りたものを返さなかったり、わずかなお金を借りて忘れてしまったりするのも盗むことになります。
また、家族関係でも盗むことがありえます。それは相手の時間や才能、お金を自分のために利用しようとする態度です。
夫が妻を、妻が夫を、親が子を、子が親を利用するならば、それは神様の前には立派な盗みになります。
わたしたちはかえって自分の持てるもので人々に仕え、与える者となるように勧められています。
エフェソ4章
29:悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、
その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。
言葉という点で自分には落ち度がないと断言できる人はまずいないと思います。
それはヤコブの手紙に記されているとおりです。
ヤコブの手紙3章
5:同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。
御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
6:舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、
移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。
7:あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。
8:しかし、舌を制御できる人は一人もいません、舌は、疲れを知らない悪で、死をもたらす毒に満ちています。
わたし達はついつい言うべきでないと知りつつ暴言を吐き、建徳的な言葉はなかなか言えないものです。
しかし実は言葉一つで人を生かすことも殺すこともできるのです。
盲目の息子に「おまえはピアノが上手だ」と親がほめつづけた結果、立派なピアニストになったという話もありますし、
逆に「おまえなんかいなければいい」と息子が精神的な病を負った母親に言った結果、
お母さんが自殺してしまったということも聞いたことがあります。
わたし達は自分が日々語っている言葉をもう一度吟味する必要があります。
エフェソの信徒への手紙4章
31:無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
わたしたちの心にはちょっとしたことでもすぐ人への悪意が芽生えます。
そしてそれがやがて言葉や行動になって現れるのです。
しかしパウロは、一切の悪意を捨て去り、心を変えなさいと命じています。
エフェソの信徒への手紙4章
32:互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
この戒めの鍵となるのは、「神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように」という所です。
わたしたちがキリストによって赦された罪の値は主を十字架に釘付けにして殺すほどのものでした。
それほどまでに恵みを受けたのだから、私たちはどんな人をも赦す力を主から頂くことができるのです。
韓国には「愛の爆弾」と呼ばれている牧師、ソン(孫)・ヤンオン先生がいます。
ソン先生は自分の大切な息子を共産党員に殺されたのですが、
その犯人を刑務所に何度も訪問し、愛をもって接し続けたそうです。
はじめは心を閉ざしていた犯人も、ついにその牧師に問いかけました。
「どうしてあなたの息子を殺したこのわたしに、こんなに良くしてくださるのですか。」
すると牧師は答えました。
「それはイエス様が私を愛して赦してくださったからだよ。」
その犯人は悔い改めてクリスチャンとなりました。
牧師はその犯人が刑務所を出所した後、亡くなった息子の代わりにその青年を自分の養子に迎えたのです。
神様がわたしたちに与えてくださった新しいいのちは、
わたしたちを今までとは全く違う新しい人生へ導くの鍵です。お祈りいたしましょう。
天のお父様、わたしを救ってくださり、新しく造りかえてくださった事を感謝いたします。
今日聞いた御言葉を一つでも実践することが出来ますように助けてください。
また、私があなたのいのちに溢れた新しい生き方を出来るようにお導きください。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
聖書 新共同訳:(c)共同訳聖書実行委員会
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, Tokyo 1987,1988